上古のむかし、ひと夜のうちに権現山の西北隅の揖保川に突き出でている角にあった大岩石上に八尋(やひろ)もある白い旗が立った。
人々が不思議がってこれを見に行くと「我は伊和大神なり」の声が聞こえたという。
夜比良神社の社名はこれに始まるとの伝承が残っています。
この巨岩は盤座(いわくら)であったと思われるが、”下駄の足形石”または”天神さんの足跡”などと呼ばれ、人々に親しまれていましたが、道路改修のため削り取られ、現在は、一部痕跡が見られるだけである。
右図の権現山の左には、それらしきものが描かれており興味深い。(右図:矢印)
【地形図の判例では岩碩(がんせき)とある】
また、その下の川底は深くなっていて明神ヶ淵と呼ばれていました。
「播磨国風土記」に罹れている「神山」は、この権現山と考えられます。