次の絵は、明治26年頃に描かれたと考えられる地図をわかりやすく写したものです。この絵からはかつての町や村の様子を知ることができます。たとえば現在の…
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延喜式とは 延喜5年(西暦927年)にまとめられた平安時代の法令集です。神名帳は、この延喜式 第九・十にまとめられており、式内社とは、この延喜式神名帳 …
大地の傾動は、龍野市揖保郡の歴史に次のような影響を与えました。東は六甲山から西は岡山県域へと続く瀬戸内海沿いの地帯、そこでは30〜40万年前ころか…
中世の播磨国を支配したのは赤松氏でした。赤松氏は下揖保荘の総鎮守である夜比良神社を守護神とし、「八尋(やひろ)の神」といい篤く崇敬し、「神式は赤松…
宍粟市の播磨国 一の宮である伊和神社を『北方殿』というのに対し、夜比良神社は『南方殿』と呼ばれています。神社に伝えられている伝承によれば、往古、神…
上古のむかし、ひと夜のうちに権現山の西北隅の揖保川に突き出でている角にあった大岩石上に八尋(やひろ)もある白い旗が立った。人々が不思議がってこれを…
鎌倉時代には、この揖保川の右岸に上揖保荘・下揖保荘とよばれる荘園が成立しました。上揖保荘は龍野町、日山、小神、大道などが該当します。一方、下揖保荘…
国作大己貴命(くにつくりおおなむらのみこと)とは、大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一であり、「 播州国風土記 」では 葦原志拳乎命(あしはらし…
揖保川の堤防が現在のように強固なものになる以前、揖保川は西に東に揺れ動いて流れていました。11世紀のころ、奈良時代からの行政区画であった揖保郡が揖東…