夜比良神社と赤松氏

中世の播磨国を支配したのは赤松氏でした。

赤松氏は下揖保荘の総鎮守である夜比良神社を守護神とし、「八尋(やひろ)の神」といい篤く崇敬し、「神式は赤松政村これを定む」と今に伝えられています。

また、記録の上では「八枚(尋)社刀踊り」等の故事があったとされていますが、今では残念ながら途絶えてしまいました。

江戸時代以前、龍野の鶏籠山上には、赤松氏の居城がありました。その最後の城主である赤松広秀が夜比良神社を詠んだ歌が残されています。

やひら手を 取りにし神も あらましを

きねか鼓(つづみ)の 音は絶やせぬ

赤松広秀

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  1. 御祭神は、国作大己貴命様となります。

  2. 延喜式や神名帳に 夜比良の社名がみられ、すでに神社として整えられていたことがわかります。

  3. 夜比良神社と揖保川の流れ

  4. やひらの渡し

  5. 夜比良神社は『南方殿』と呼ばれています。

  6. 夜比良神社と下揖保荘

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