夜比良神社と権現山の伝承

上古のむかし、ひと夜のうちに権現山の西北隅の揖保川に突き出でている角にあった大岩石上に八尋(やひろ)もある白い旗が立った。

人々が不思議がってこれを見に行くと「我は伊和大神なり」の声が聞こえたという。

夜比良神社の社名はこれに始まるとの伝承が残っています。

この巨岩は盤座(いわくら)であったと思われるが、”下駄の足形石”または”天神さんの足跡”などと呼ばれ、人々に親しまれていましたが、道路改修のため削り取られ、現在は、一部痕跡が見られるだけである。

右図の権現山の左には、それらしきものが描かれており興味深い。(右図:矢印)

【地形図の判例では岩碩(がんせき)とある】

また、その下の川底は深くなっていて明神ヶ淵と呼ばれていました。

「播磨国風土記」に罹れている「神山」は、この権現山と考えられます。

関連記事

  1. 夜比良神社と揖保川の流れ

  2. 揖保川の流れ、西へ

  3. 夜比良神社と赤松氏

  4. 延喜式や神名帳に 夜比良の社名がみられ、すでに神社として整えられていたことがわかります。

  5. 夜比良神社は『南方殿』と呼ばれています。

  6. 御祭神は、国作大己貴命様となります。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

2021年1月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031