夜比良神社と下揖保荘

鎌倉時代には、この揖保川の右岸に上揖保荘・下揖保荘とよばれる荘園が成立しました。上揖保荘は龍野町、日山、小神、大道などが該当します。一方、下揖保荘の荘域は、揖保町の揖保上、揖保中、今市と揖保川町の野田、新在家、正條を含む地域でした。この下揖保荘の総鎮守として崇敬されていたのが夜比良神社でした。

現在、氏子域が揖保川の左岸・右岸にまたがってありますが、当時の氏子域は、すべて揖保川の右岸にあったのです。

それが永正13年(1516年)あるいは享禄年間(1528年~1531年)ともいわれる洪水で、揖保川の本流が西に移り、現在みられる流れとなったために、夜比良神社の氏子域が分断されることになったのです。

氏子域が揖保川によって分断された後も、正條や新在家の人々は渡し舟(「夜比良の渡し」)を利用して参詣を行ってきました。

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